倉敷手織緞通の歴史

倉敷緞通の繁栄


そして昭和8年頃「倉敷緞通」として始まり

最盛期は昭和30年~40年にかけて

その当時、商品を扱う小売店は全国に4、50店もあり

月間三百畳も生産したが、

注文が追いつかない程でした。


テレビのホームドラマの小道具として登場したり

老舗の劇場の楽屋の敷物に使われていたり

「住まい拝見」などのテレビ番組で、

有名人の家のリビングに敷かれていたり。

時代にも象徴され、昭和の流れと共に

私達の生活の中に溶け込んでいきました。


倉敷緞通の衰退


そうして全国的に倉敷の伝統民芸として広がった「倉敷緞通」も

昭和50年代に入って原材料、工賃が高騰、

製品価格にはね返って

物品税の免税点を超え課税されるようになっていきます。


敷物だけが対象でしたが、小売り段階の課税のため

取り扱いを嫌う小売店が増加。


安い輸入絨緞の普及もあって、年々販売が鈍ってしまいます。


月間百畳程度の生産でもさばけず、在庫は増える一方。


ついに昭和六十一年に生産中止に追い込まれてしまいました。