倉敷手織緞通の歴史

倉敷緞通の誕生


かつて岡山県倉敷市はイ草の産地として知られていました。

イ草は専ら畳表として使われ、

明治以降も倉敷はイ草の集散地として栄えていました。


昭和初期、倉敷の矢吹 貫一という発明家が

イ草を使った新製品として「倉敷緞通」を考案。

これを製品化したのがイ草の商社として出発していた

日本莚業 株式会社です。


当時、「倉敷緞通」は「金波織」と呼ばれており

イ草から発想された緞通は

民芸運動の創始者・柳 宗悦先生の目にとまります。


柳 宗悦先生の指導、命名により

「金波織」は「倉敷緞通」と名前を替えます。


こうして「倉敷緞通」が誕生しました。


更に、その図案制作に芹沢 銈介(ケイスケ)が携わりました。